BUMP OF CHICKENのボーカリスト、藤原が作成する楽曲の中には、いくつかメンバーに送られたものがある。
その中でも火・炎に関するタイトルが付けられた楽曲は、BUMP OF CHICKEN最初のCDのタイトルが「FLAME VEIN」でもあることから、とりわけ藤原の想いが強く込められた楽曲だと言える。
この記事では、そんな藤原からメンバーへの想いが強く込められた楽曲を紹介する。
目次
ギター増川へ「fire sign」
「fire sign」は、2004年にリリースされたアルバム「ユグドラシル」に収録された楽曲。
ギター&コーラス担当の増川弘明、通称・ヒロの誕生日に藤原が贈った。
「fire sign」に込められた想い
増川には悩みがあった。
実はこの時期、藤原が求めた「プロとしてやっていく意識と技術」に、増川が着いていけなかった、という説が有名。
その証拠に、「ユグドラシル」収録曲「embrace」や「同じドアをくぐれたら」のクレジットに増川は記載されていない。
精神的にも限界の増川がバンドを辞めようとした時に、藤原が送った楽曲が「fire sign」。
歌詞にもあるように、増川がこれまで「誰かの為に生きる」という行為に目印を付けて自分の心を置いてけぼりにして生きてきたことに対し、その心の中にまだ「命の火が揺れてる」だろ? という想いが込められてる。
この曲をきっかけに増川はバンドに残り、誰かのためではなく、自分のために音楽をするようになったと言われている。
もともとデビューもまだの頃、実は藤原だけ引き抜きを打診されたことがあったが、藤原は「今のメンバーしか考えられない」と、レコード会社の申し出を断ったこともある。
歌うように 囁くように 君を信じて待ってる
微かでも 見えなくても 命の火を見つける
こういった背景を知って曲を聴くと、メンバーの深い絆を感じ、今まで以上に感動できる。
ドラム升へ「セントエルモの火」
「セントエルモの火」は、アルバム「COSMONAUT」に収録されている楽曲。
ドラムの升が富士山登山をすることを聞きつけた藤原が、頂上で驚かせてやろうと升の後から登って行ったというエピソードから生まれた。
「セントエルモの火」に込められた想い
実はバンドを組もうと最初に誘ったのは升。
登山をバンド活動と重ねて捉えると、様々なメタファーが込められていることに気付く。
how far are you? 星が綺麗なことに 気付いてるかな
僕が気付けたのは 君のおかげなんだよ ずっと上を見てたから
言いたいことは無いよ 聞きたいことも無いよ
ただ 届けたいことなら ちょっとあるんだついて来たっていう 馬鹿げた事実に
価値などないけど それだけ知って欲しくてさ
BUMP OF CHICKENの中心は紛れもなく藤原だが、バンドが生まれたきっかけは、升が藤原を誘ってくれたから。
藤原から升への大きな感謝がこの曲に込められている。
ベース直井へ「flare」
タイトル「flare(フレア)」は、ポルトガル語で「chama(チャマ)」。
ベース直井の愛称「チャマ」と重なる。
意味は、「炎がゆらゆらと燃える」。
「flare」に込められた想い
実は、直井は2020年9月18日に文春オンラインから不倫が報じられた結果活動休止をしている。
曲中では「どれほど弱くても 燃え続ける小さな灯火」といったフレーズが歌われており、元々の「今にも消えそうな」というネガティブな意味合いに対して「小さくてもその炎は消えない」というメッセージが込められていることがわかる。
また、この曲はバンド25周年を飾る曲でもある。
「小さな灯火と大きな希望」を感じるこの曲は、メンバーの絆を大事にするBUMP OF CHICKENらしいアニバーサリーソングだと言える。
火・炎に関連しないタイトルの曲
ベース直井へ「ベンチとコーヒー」
2001年、直井の誕生日に、升はロボットのおもちゃ、増川はセーターのプレゼントを贈り、藤原が送ったのがこの曲。
贈られた手書きの歌詞カードは、今でも直井の家で額に入って飾られている。
メンバー以外へ送られた曲
「バイバイサンキュー」
スタッフの赤ちゃんへ「Stage of the ground」
BUMPメンバー共通の友人でありスタッフがいて、その人の生まれたばかりの赤ちゃんへのプレゼントとして作成された曲。
その子は名前が漢字4文字で構成されていて、その漢字が全て歌詞の中に含まれている。
その漢字とは、「未来永劫」「夏の日」「那由多」「宇宙」。これらに散りばめられた漢字を繋げると、その子の名前になるそうだ。
記憶喪失の友人へ「メロディーフラッグ」
事故に遭い、記憶喪失になってしまったBUMPメンバー共通の友人(レコーディングスタッフ)に贈られた曲。
友人が記憶障害を起こして最初に気にかけていたのはBUMPのことだった。
医者じゃない自分たちができることは「音で旗を振るくらいのことだ」という想いで作られた。
「66号線」
プロデューサーMOR(森徹也)に贈られた曲と言われている。
「HAPPY」
インタビューで、歌詞に登場する「少年」と「少女」は実在する人物と解説があった。
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