「嫌なら見るな」はなぜ正論じゃないのか

あらゆるものは当然、好意的にとらえられることもあるし、忌避されることもある。

人によって様々なんだけど、否定的な意見、いわゆるアンチの声とセットでよく使われる言葉にこういうものがある。

「嫌なら見るな」

多くの人が、この言葉を正論と思っている

それって実はかなり排他的かつデカダンな考え方なんだけど、残念ながら。

「嫌なら見るな」発言側の心理

それでは、「嫌なら見るな」と言う人は、そのときどのような心理状態なのか・・・

そもそもこの発言って、相手の意見・主張を、自分の手でおしつぶしてやろうということになる。

なぜそう言えるのか。誰でも他者の意見を聞いたときはまず、意識的にしろ無意識的にしろ、「割り切る」か「割り切らない」かという選択をしている。

そして「割り切らない」を選んだことによって、「自分の意見は主張するけど、相手の意見の主張は許さない」となり、「嫌なら見るな」と発言する。

これは承認欲求からくる支配欲といえる。

ここでいう「割り切る」というのは、「そもそも個人には意見を主張する自由がある」ことから「自分が他人に関われる境界線を理解する」ということ。

そこの理解をないがしろにすると、無意味どころか周りの人にとって害悪となる発言をしてしまう。差別とかその典型。

他人の意見を変えることはできない

実は、他人の意見を変えることはできない。

つまり自分を変えれるのは自分だけということ。

「そんなの当然でしょ」と思ってる人のほとんどが、それを全然理解できていない。

他人を見てイライラするようなら完全に間違っている。

理解はできるけど、どうしてもイライラしてしまう、どれすればいいのか分からないという人もいるだろう。

それなら自分が変わるしかない

「周りを変えたい」なんてほんとただの危ない人だから、誰もが当然、自分を変えるしかない。

極端な話、人は変えられないということを理解しておかなければ「人間関係」はダメになる。

想像に難くない。

「嫌なら見るな」がダメな理由

個人的には「好き」と「嫌い」は当価値だ。一般的には自由。

それを「好き←わかる」「嫌い←ふざけるな!」となるのは、相手を支配したがっている危ない思考だということは分かると思う。

自分の意見は主張するけど、相手の意見の主張は許さない状態になっているということ。言い換えれば「相手の権利を剥奪したい」。

「自分が主張する自由は守られたい。けど相手が抗議する自由は認めない」

見るか見ないかは、見る側が決めることであって、他人がどうこう言えることではない。

言うか言わないか(略

この見出しも、わかりやすく「ダメ」と書いたけど、僕が言えることじゃない。

アンチ発言側の心理

「嫌なら見るな」と言ったことがある人は、「アンチは一体何考えてんだ」と思ったことがあるだろう。

まあ、あまり考える必要もないけど、これも承認欲求。

「私は嫌いだと感じている」ことを誰かに認めてもらいたいという欲求。もしくは嫉妬。

あるいは、拡散目的のマーケティングである可能性も考えられる。

実は、いいことよりも悪いことの方が10倍の速さで拡散してもらえるという性質がある。

「3対33の法則」といい、良いうわさを3人にするとすれば、悪いうわさは33人にする

これを目的として、計画的に発言していることがある。

「嫌なら見るな」を論破する

なんだかんだ言っても、「嫌なら見るな」と言ってくる人は絶えない。

どうしても言い返さなければいけないときはあると思う。

じゃあ仕方がないけどどうにかして論破しなきゃいけない・・・

そんなときはぜひこの記事のリンクを貼ってほしい(笑

その他の対処として以下のものを考えてみた。

  • 完全にスルーする
  • 「見てほしくない」という意味ですか?「批判してほしくない」という意味ですか?それはどうしてですか?←ここから会話を発展させていく
  • それで何が解決するんですか?←ここから会話を発展させていく
  • 詭弁で返す
  • 謝る
  • 自分が批判した理由を論理的に説明する

臨機応変に使い分けよう。

最後に

ネットにある記事を色々見てたけど、この手の話ってほとんどなかったので書いた。

暴論とか、詭弁とか、立場とか、そもそも見えるようにするなとか、そういう問題じゃない。

自分が他人に関われる境界線を理解する」ことは、人間関係の根本ともいえることだから、観念のアップデートに利用してくれればうれしい。

バズれ。

Twitter「嫌なら見るな」


 

5 件のコメント

  • 「嫌なら見るな」というのはわざわざ好きな人のコミュニティで嫌いといった趣旨の発言をして好きな人たちの気分を害することは慎めという意味ではないのですか?

    • 今回は「どのようなケースか」ということは限定せずにお話いたしました。
      ツイッターやアンチスレでもよく見かける発言でしたので。

      仮に「好きな人のコミュニティ」で否定的な発言をしたとしても、それに対して「嫌なら見るな」とは言うべきではなく、「ここはこういったコミュニティなのでそのような発言を控えていただくことはできますでしょうか」と提案するか、否定的な発言をその場から排斥したいのならパスワードを設けるなどして対策が出来るかと思います。

      また、別の話になってしまいますが、個人的には、「気分を害する」のは「言った側」ではなく「言われた側」に問題があると考えます。
      むちゃくちゃだと思われるかもしれませんが、これも「自分が他人に関われる境界線を理解する」ことから導くことができます。
      理解していれば、そもそも不快になりえません。他人は他人ですので。
      「嫌い」という発言に気分を害したり、カッとなってしまうのは、承認欲求からくるものです。
      アドラー的に言えば、「気分を害したいという目的があって気分を害している」ですね。

      なんかくどくどとした内容になってしまい申し訳ありませんが、何かしら伝わりましたら幸いです^^

  • 臭いものに蓋をする・背を向けるみたいな何も解決しない「嫌なら○○するな」という表現が嫌いです
    例えば俺が否定的なコメントした時に「嫌なら見るな」と噛み付いてきた場合は「(俺の感想が)嫌なら見るな」と言い返します。
    そのまま黙れば良いのですが、もし再度噛み付いてきたのならコイツは先ほど言った自身の「嫌なら見るな」を体現できず筋が通ってないことになります

    後は「自分ができない事を人に強要すんな」など適当に人格否定すればいいかと
    それでも噛み付くヤツは、いつの間にか論点がすり替わってる精神異常者なので適当にあしらうのがいいかと
    ケースバイケースですが自分はこんな感じでやっています。

    「嫌なら見るな」というのは民放TV絡みで最も多く使われると思います(番組or出演者のアンチ意見に対し)
    これは遊び感覚ですが、逆に自分が「嫌なら見るな」発言に噛み付く場合
    「公共の電波を~(くだらない・低俗・無益など)」もっともらしい言葉でまとめます。
    最後の一文を「俺の方がよっぽど面白い番組作れる」みたいに書くと、十中八九「お前がそんなの作れるわけないだろ!」と返ってきますので、一言で返します

    「嫌なら見るな」

    とまぁこんな感じでやってます。
    そもそもコレを言うヤツは考える事を放棄してるので、言い争いになる時も考える事を放棄するので支離滅裂な不毛な議論になります
    言うは易く行うは難しじゃないですけど、嫌なら○○するなって言うわりにいざ自分が言われると思いのほか言動を抑制するのって難しいでしょ?と体験してもらいたい。又は、身も蓋もない何も発展しない事に気づいて欲しい。
    思考停止してるからこそこんな安易な殺し文句にたどり着いてしまうんですね。

    長文駄文 大変失礼しました

    ※このコメントに対する反論は一切受け付けておりません
    「嫌なら読むな」です(笑

  • 『「嫌なら見るな」理論が正論ではない』

    というのも正論とは言えないのでは?

    「嫌なら見るな」という意見の中には、確かにあたかも正論かのようにそれを振りかざして「相手の『嫌』を否定しようとしている」意図が見えるものもあります。

    でも、コメント欄にもある通り、「嫌いなものの敷地に勝手に踏み込んできて散々批判してくる奴」に対しての「嫌なら見るな」論は至極真っ当ですよね。

    仰る通り「PASSを設ける」などの対策もできますが、そうすると今度は「踏み込んだ結果好きになる」という人を排除してしまうことにもなりかねません。
    「踏み込んできた人間に出て行ってもらうなら他の言い方の方がいい」のは全くその通りですが、それは『嫌なら見るな』論が「有効ではない」ことの説明であり、「正論ではない」という話とは別です。

    排他的な考えではあるけれど、「正論じゃない」という断言には少々違和感を覚えます。

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